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2006年7月17日 (月)

映画「日本沈没」のこと

060716   ミニトマトの葉っぱが少し枯れ始めています。ヤバイかも。
 家の前は工事中。駐車場だったのですが、住宅用に分譲することになったらしい。

 そうそう、「日本沈没」・・・30年前のSF作品です。
 SF少年だった鐵太郎は、当然これを知っています。

 しかし、まともに読んだことはない。むろん買ってもいない。
 立ち読みしても面白いとも思わなかった。
 今リバイバルしているそうです。過去の大ベストセラーであり、昔は誰もがこれを読んでいたなどと言われると、腹立たしいよりばかばかしく思う。不思議。

 鐵太郎はアマノジャクです。昔もそうでした。だからなのでしょうか?

 当時は若気の至りだったが、今冷静にその時の心境を考えてみると、面白い解説ができます。
 1960年代、70年代の日本SF界を引っ張っていた世代とは、どんな世代だったのでしょうか?
 あの戦争の余波を受け、戦乱に被災した世代であり、戦後の動乱の中で苦労した世代です。逼塞した日本の中から世界にあこがれ、夢中になってアメリカ文化をスポンジのように吸い込んだ。当時のSF少年たちもそうでしたし、先日アメリカで稚気あふれると言うより醜態を演じたわれらが首相閣下も、やはり同じだったのではないかな。三つ子の魂百まで。
 彼らは、我が日本というステージの上から世界を見てあこがれたのです。
 その視点で、日本を見直し、日本への揶揄や警鐘としてああいう本を書いた。それは悪いことではない。

 しかし鐵太郎は、あの時代の日本人作家が、未来を描いたときは別ですが、現代を世界との対比で描いたとき、絶望してしまったのです。
 何に?
 (1)外国コンプレックスと、(2)三文小説に出てくるような下ネタと、(3)青少年相手に淫靡な性描写を見せつけることに。最後の点については、ちょっと年長の大人が、大人の世界をかいま見せてやると言いたげにもっともらしい理屈をつけて優越感を示しているようで、情けなかった。

 
 世界を俺たちのルールで守ってやるぞ、と高らかに叫ぶハインラインの方が、遙かに受け入れやすかった。
 だから、鐵太郎はこの時代の日本SFはほとんど読んでいません。

 「日本沈没」は、このうちの少なくとも第二第三は当たっていない。でも、なんで日本を沈めなくちゃいけないのか、理解できなかった。今なら自虐的発想と呼ぶのかな?
 こういうの、周波数が合わない。

 パロディとして書かれた「日本以外全部沈没」も秋に映画化されるらしい。この短編も、好感が持てません。こんなもので溜飲を下げるのが日本人だとしたら、情けない。これが日本のユーモアだとしたら、寂しい。

 この映画を聞きつけて、お隣の国のふたつが食指を伸ばしているとか。
 (もう一つは国交がないし金がないので言ってきません(笑)。)
 是非とも日本が沈むところを見たいのだそうな。そして秋に作られる予定の「日本以外全部沈没」をくそみそに貶しているらしい。
 日本はいつまで彼らを敵に回しているのでしょうね。情けなくなる。

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