« インフルエンザvsマスク | トップページ | 今週買った本(5/17~23) »

2009年5月20日 (水)

「王妃マルゴ」へのメモ

 うーん、本サイトへのネタを書いていたら、最初の人物と背景の説明だけですげー量になってしまった。
 これじゃあ、読みにくくってしかたがない。その部分だけこっちに移しました。
 ま、歴史の専門家でもないので、ほんのさわりの説明です。魅力的な人物が出てくるのが楽しいですよ。

 時代は西暦1570年から。舞台はフランス、パリ。パリが花の都になるより前。
 本の題名は 「王妃マルゴ(上・下)」 (本編もアップしました)
 作者は、アレクサンドル・デュマ・ペール。

 興味のない方はスルーしてください。鐵太郎のメモ用ですから。
 
(タイムスクープハンターが8話で終わって怒っているけど、その話はしないw)

 ヨーロッパで中世が終わったのは、15世紀末といわれます。次の近代は、宗教の荒波と共にやってきました。堅固だったカトリックに対し、自由、というか既得権以外の権益を求める王侯や人びとの間に、新教と呼ばれる新しいキリスト教の分派は、確実に浸透していきます。
 百年戦争ののちに最強の国家となったフランスは、法王の権威の元に王権を確立したこともあり、カトリックを国教としていました。しかし反政府側は、プロテスタントを奉じて抵抗勢力となっています。
 国王アンリ2世の死後、対立は激化し、国家を二分する争いとなります。
 アンリ2世の妃にして我が子を次々国王にしてその摂政となった母后カトリーヌ・ド・メディシスは、争乱を静め、フランス王の権威を高めるために、自分の娘マルグリットをこの抵抗勢力の旗頭であるナヴァール王アンリとを結婚させる事を計画したのでした。
 かくして1572年8月、旧教側の貴族らと共に、国王側との和解を祝うおびただしい数の新教貴族たちがパリに集まり、この式典を祝うこととなります。豪華な祝典は8月18日に行われました。
 この6日後の1572年8月24日聖バルテルミーの日、時の国王シャルル9世の信任篤い新教徒コリニー提督が襲撃された事から始まった争乱の果てに、三千人以上の新教徒が殺されました。これは歴史に名高い「サン・バルテミーの虐殺」と呼ばれ、この背後には母后カトリーヌあるいは王権を狙うギーズ公の手があるといわれています。

 さて、史実として存在する主要な人物は、下記の通り。
カトリーヌ・ド・メディシス カトリーヌ・ド・メディシス
 (Catherine de Médicis 1519/4/13-1589/1/5)
 イタリア・フィレンツェのメディチ家出身。夫アンリ2世死(1559/7/10)後、長男フランソワ2世を王としてその摂政となる。その死後はシャルル9世の後見人となり、死ぬまでフランスを支配したそうな。
 怖いおばあちゃんですな。
 サン・バルテミーの虐殺事件の時、53歳。上巻P89でデュマは42、3歳と書いていますが、これはミスじゃないかな。
 昔はうっとりするような美女だったんだそうな。その面影が残っていますか?
 「息子を国王にした女たち」(川島ルミ子)にミニ伝記あり。
マルグリット・ド・ヴァロア  マルグリット・ド・ヴァロア
 (1553/5/14~16115/5/27)
 愛称マルゴ(Margot)。アンリ2世の次女。政略のためナヴァール王アンリと19歳で結婚。1599年に離婚。彼女の死によって、ヴァロア王家の直系の血統は途絶えちゃいました。
 フランス宮廷の花と讃えられ、フランスの王冠の真珠と呼ばれた美女だったそうな。
 巷間伝わる「伝説」として、淫蕩な妖女だったような記録もあるそうですが、この本では驚くほど好意的に描いています。こういう視点もあるんだねぇ。
シャルル9世  シャルル9世
(1550/6/27~1574/5/30)
 フランス王在位1561~1574

 フランソワ2世の弟。マルゴの兄。兄の死後王位を継ぐ。
 妻エリザベートとの間に娘が生まれたが夭折。
 虐殺事件の時、22歳。
 この2年後に病死(?)により死亡。
 デュマはこの人も、打算的だけどかなり好意的に描いていますね。
アンジュー公アンリ  アンジュー公アンリ
 (1551/9/19~1589/8/2)
 ポーランド王・在位1573~1575
 フランス国王アンリ3世・在位1574~1589)
 シャルル9世の弟。マルゴの兄。虐殺事件の時、20歳。
 ポーランドの王とされたことが不満だったらしいですね。兄シャルルが危篤だと聞くや否や、ポーランドの政治も王位も捨ててパリへいちもくさんに走ったそうな。そののちは一切ポーランドに関わらなかったくせに、死ぬまでポーランド王の肩書きを捨てなかったと言うんだから、王族のボンボン気質そのままですなぁ。
 フランス王位継承後、カトリック同盟の離反などによって国家を混乱させることとなり、暗殺により死亡。
 デュマは、明らかに好意を持っていません。
 ( ̄ー ̄)ニヤリ
 
アランソン公フランソワ  アランソン公フランソワ
 (1555/3/18~1584/6/19)
 シャルル9世の末弟。虐殺事件の時、17歳。
 兄たちは順番に死んでいったのに、王位に就く前に寿命が尽きて29歳で死亡。でも、可哀想だとは思わない。
 もっと早く死んだ方が世界は平和だったかも知れない。無能なくせに権力をふるいたがる若者って困りますな。

 フランス王族の最重要家系ということで、ネーデルランド君主やイングランドのエリザベス1世の夫君の地位を提供されたこともあり。アンジュー公、トゥーレーヌ公、ベリー公などの肩書きでも呼ばれるややこしい人。
 
アンリ・ド・ナヴァール  アンリ・ド・ナヴァール
 (1553/12/13~1610/5/14)
 ナバラ王在位1572~1610
 フランス王在位1589~1610
 父系・ブルボン家、母系・ナバラ王家。
 母方の家系によりナヴァール(フランス語読み)国王の称号を持ったのですが、イベリア半島にまでまたがった新教(ユグノー)の国で、独立独歩の気質ですから、王がいてもいなくてもあまり関係なかったみたい。
 実はこの人、この本の主人公の一人。マルゴとの結婚時と虐殺事件時、18歳。
 母親、ナバラ王家の女丈夫ジャンヌ・ダルブレが暗殺されてからわずか二ヶ月。しかも、暗殺したのはどう考えてもカトリーヌ・ド・メディシスかその配下に違いない、という情勢。

 のちにフランス国王アンリ4世として国内の宗教融和に努め、フランス史上最良の国王と呼ばれたそうな。
 渋い、いい顔に書かれていますなぁ。

 当時の認識では、ナヴァール王国はフランス王国の属国ってとこでしょうか。
 パリから見てそのすぐ手前にはガスコーニュ地方があり、アンリ4世からルイ13世に至る時代、王様に続けとばかりにたくさんの頑健なガスコン男たちがパリに現れたのだそうな。
 一番有名なのはダルタニャンでしょうね。彼も、ガスコンの先輩たちを頼って、プライドと剣だけを持ってパリに現れた男です。
 
アンリ・ド・ギーズ アンリ・ド・ギーズ
 (1550/1/31~1588/12/23)
 フランス高級貴族ギーズ公爵家の長男。父をプロテスタントのコリニー提督に殺された事などで過激な反新教派であり、サン・バルテミーの虐殺事件の首謀者の一人とされます。虐殺事件の時、22歳。
 マルゴと結婚の約束をしたとかしなかったとか、いろいろ書かれていますが、デュマはいかにもフランス的なロマンスの一つという感じに扱い、そんな話もあったよね、という書き方で流しています。
 のちにカトリック同盟のリーダーととなり、シャルル9世の死後、アンジュー公アンリ、アンリ・ド・ナヴァールと共に、フランス王位を争うこととなるのです。これを「三アンリの戦い(Guerre des trois Henri)」というのだそうな。

|
|

« インフルエンザvsマスク | トップページ | 今週買った本(5/17~23) »

△愛書家」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/3913/29711059

この記事へのトラックバック一覧です: 「王妃マルゴ」へのメモ:

« インフルエンザvsマスク | トップページ | 今週買った本(5/17~23) »