太陽王ルイ14世の宮廷
読んでいる本のメモ代わり その2。
舞台が1693年のフランス宮廷となると、出てくる人物を押さえておかないと混乱します。
歴史書じゃありません、フィクションです。
本家の方でアップしました。
→「太陽の王と月の妖獣(上・下)」 (ヴォンダ・マッキンタイア)
以下のそうそうたる面々がいます。まずこの方々の名前と顔を頭に入れないとね。 実在するけど目立たない人や、フィクションの人物は別です。そこまで追っても意味がない。 こんなに下調べの必要な本で、しかも純粋な歴史小説ではないとは、まったく。 (; ´Д`) 年齢は1693年当時でっす。 |
ルイ14世 (Louis XIV de France)![]() フランス国王、ナバラ王、アンドラ共同大公 在位:1643 - 1715年 フランス王ルイ13世の長子。妻はスペイン王フェリペ4世の娘マリー・テレーズ(1683年に死亡)。 この本では、壮年期に入った王として描かれていますね。切れ者かどうかはともかく、気配りもできるフランス紳士。少なくとも暗君ではない。 考えてみると、このあと20年も生きるんですよね、この方。 |
オルレアン公フィリップ(1世) |
オルレアン公夫人エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール![]() オルレアン公フィリップ1世の妃。 ドイツ語名エリーザベト・シャルロッテ・フォン・デア・プファルツ(Elisabeth Charlotte von der Pfalz)。フランスではラ・プランセス・パラティーヌ(La Princesse Palatine)と呼ばれた。 父親はプファルツ選帝侯カール1世ルートヴィヒ。兄は選帝侯カール2世。 1671年にフィリップと政略結婚した。当時同性愛者として知られるフィリップは最初の妻アンリエットと死別したばかり。 反骨精神のある宮廷夫人として有名。 通称 マダム(王弟妃殿下) 夫婦仲は歴史上では悪かったといいますが、この本では儀礼的に、おもてだってはよい夫婦としてふるまっていますね。口の悪い、怒らせると怖い元気なおばさんです。 まあ、同じ馬車の中に夫の愛人(男)がいるような生活をするんですから、おとなしいいい人じゃ勤まらない。(笑) |
フィリップ2世![]() シャルトル公(1674年 - 1701年)、のちオルレアン公(1701年 - 1723年)。 ルイ14世の弟オルレアン公フィリップ1世と、後妻エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール(つまりマダム)の子。 1691年のモンス包囲戦の指揮を執ります。 1692年にルイ14世とモンテスパン夫人の間の庶子である従妹フランソワーズ・マリー(通称“マダム・堕天使(ルシフェル)”)と結婚。 のちに、1715年から1723年までルイ15世の摂政を務めました。メーヌ公とは友人ですが何かと張り合っています。 |
エリザベート・シャルロット・ドルレアン |
王太子殿下(Monseigneur)![]() フランス王ルイ14世と王妃マリー・テレーズの長男で成人した唯一の子供。 生まれながらにしてフランス王太子(ドーファン、dauphin)となったが、即位することなく父に先立って49歳で死去した。死後、同じく王太子のままで死んだ息子ルイと区別するため、グラン・ドーファン(le Grand Dauphin)と呼ばれた。 この物語当時は、いささか影の薄い立場ですねぇ、ルイ君 。 |
メーヌ公ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン![]() ルイ14世と彼の二番目の寵姫モンテスパン公爵夫人との庶子で、ルイによって王位継承権のある嫡子と認められる。 子供を顧みない実母の代わりに、マントノン侯爵夫人に養育され、母としたっていたとか。マダム(オルレアン公夫人)らには、「売女の私生児」と(陰で)罵られていたそうな。 ルイ14世の死後、結束した王族により王位継承権を奪われ、晩年は追放されて哀れな老後を送ったらしい。 物語の中では、さっそうとした貴公子のようですが、実は背骨に歪みがあってちょっと奇形だったらしい。 (;;;´Д`) |
マントノン侯爵夫人 フランソワーズ・ドービニェ![]() フランス王ルイ14世の寵姫。 作家ポール・スカロン未亡人。スカロン死亡(1660)ののち、職を求めて転々としてルイ王とモンテスパン夫人の子供の養育係となり、のちに王に見初められる。 1683年に王妃マリー・テレーズが死去した後、ルイ14世と秘密結婚をしたが、公式ではなかった。 思慮深く、穏やかで愛情細やかで控えめな性格のため、宮廷内で疎んじられることはあったが、憎まれることはなかったそうな。若い頃の愛称ビニェット。 目立たないようにと苦心している感じの人。幸福と言える生涯だったのかなぁ? 実は意外にしたたかだったらしい。 |
ブルゴーニュ公ルイ(Louis, duc de Bourgogne)![]() ルイ14世の直系の孫。父はグラン・ドーファン(大王太子)と呼ばれる王太子ルイ、母はバイエルン選帝侯フェルディナント・マリアの娘マリー・アンヌ・ド・バヴィエール。 のちにプティ・ドーファン(Petit Dauphin, 小王太子)とも呼ばれた。 ルイ14世より先に29歳で死んだため、王位は生き残った彼の三男ルイに引き継がれたのでした。 若い王子たちが必死で馬を飛ばす様子は、可愛いと言うより痛々しいかも。(笑) |
アンジュー公フィリップ (Philippe de France et duc d'Anjou)![]() ルイ14世の孫。王太子ルイの次男。 のちに1700年、スペイン王カルロス2世の死去後、ハプスブルク家の血を引くことから後継者に指名され、スペイン王フェリペ5世として王位に就いた。(在位:1700 - 1724、1724 - 1746) グラン・ドーファンの三人の息子の中では一番特をしたのかな? |
ベリー公シャルル (Charles de France, duc de Berry)![]() ルイ14世の孫。王太子ルイの三男。 のちの1712年、長兄ルイの死に伴い、ベリー公シャルルは将来の王である甥ルイ(のちのルイ15世)の摂政役の第一候補となったが、1714年5月、狩猟中の不慮の事故で重傷を負い、急死した。1714年にアランソン公、アングレーム公となっている。 |
マダム・ルシフェル (Madame Lucifer) 16歳 フランソワーズ・マリー・ド・ブルボン ![]() オルレアン公フィリップ2世の妻。 “ラ・セコンド・マドモワゼル・ド・ブロワ”(La seconde Mademoiselle de Blois, 第二ブロワ令嬢)と呼ばれた。 ルイ14世とモンテスパン夫人の庶子として生まれ、1681年に認知された。 1692年当時シャルトル公だった従兄フィリップと結婚する。王から200万リーヴルの持参金がつけられたが、夫と義母エリザベートの先入観をなくすには不十分な額だった。フランソワーズの母モンテスパン夫人は当時、ラ・ヴォワザンの毒殺事件に関係してから急激に寵愛を失っており、そんな醜聞を引き起こした人物の娘と、王弟オルレアン公フィリップ1世の長子との縁組みは不釣り合いであると、エリザベートは考えていたとか。 闊達な爆弾娘、って感じのようですね。うふ。 |
ああ、この時代、ルイ14世の最初の寵姫、可憐なルイズ・ド・ラヴァリエール(Louise de la Vallière 1644/8/6 - 1710/6/7)と、次の傲慢なモンテスパン侯爵夫人(marquise de Montespan 1640/10/5 - 1707/5/26)はまだ生きていたのですねぇ。 その他にも、亡命中の英国王ジェームズ二世夫婦とか、ペルシアの王(シャー)、ヌビア女王、ヒューロン族酋長なども出てくるそうですが、日本国皇太子とやらも出てくるらしいですね。 誰だ、これは! ∑(゚∇゚|||) |
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コメント
☆867さん
春めいてきましたね。(と、前回の挨拶のパターンでw)
あ、投稿につきましては、変なエロ投稿が何度も入ったので、(今も入っていますよぉ。困ったもんだ) こちらで確認して表示するようにしました。決して意地悪したんじゃありません!(笑)
二番目の投稿は三番目と同じだったので、失礼してそれだけ削除しました。悪しからず。
フランスに行かれたのですか。それはいい経験をされましたね。
ヴェルサイユかぁ。一度は行って見たいものですが、無理かなぁ。
しかもこの震災の中で、フランス人の温かい気持ちに触れられたとは、ラッキーでしたね。
しかし「やうろっぱ」の奴らは、本音はどうかわかりませんぜ。(くすくす)
うちの義兄はドイツ人でデュッセルドルフにおり、日本にも何度も来ていますが、家庭ではここぞとばかり日本の官僚体制や危機管理について毎日悪口をいっているのだそうな。ドイツ人は、いつまでたっても「どいっちゅらんと・ゆーばー・あっれす(全てに冠たるドイツ!)」なんですよね。
フランス人だって、負けていないでしょうね。(笑)
こんなところも、文化的に面白いものです。
投稿: 鐵太郎 | 2011年4月13日 (水) 20:20
本当にお久しぶりです、867です。
震災等ありましたが、鐵太郎さんはお元気ですか?
実は先月、母とフランスに行って参りました。3泊4日で、ルーヴル宮やエッフェル塔等に行きました。もちろんヴェルサイユも!! 資料集でしか見られなかった世界に行けてとても楽しかったです。ルイ14世時代の雰囲気をうっすらと感じられました。
それで、ヴェルサイユでちょっと感動的なことがあったのですが、宮殿入口で貰ったパンフレットを開いてみると「震災に遭われた日本の皆様にヴェルサイユ関係者、職員一同より心からお見舞い申し上げます」と日本語で書かれた紙が挟んであったんですよ(ノω・、)
私は中国地方に住んでるので何ともなかったのですが、ありがたいと言うか何と言うか・・・何だかとてもジワーっときました。
投稿: 867 | 2011年4月13日 (水) 16:33
本当にお久しぶりです、867です。
遂に受験生になってしまいました(苦笑)。
実は先月、母とフランスに行って参りました。3泊4日で、ルーヴル宮やエッフェル塔等に行きました。もちろんヴェルサイユも!!資料集でしか見られなかった世界に行けてとても楽しかったです。ルイ14世時代の雰囲気をうっすらと感じられました。未だに夢に見ますw
投稿: 867 | 2011年4月13日 (水) 16:16
☆867さん
暑いですね。(という言葉が日本全国の挨拶になる今日この頃です)
確認しました。
「ヴェルサイユの異端公妃―リーゼロッテ・フォン・デァ・プファルツの生涯」(著:宮本 絢子)
ですね。
書簡集をまとめたもののようですが、こういうものは編集する人の腕で面白い本になることがあります。そんなものであれば、読んで見たいですね。
昔の手紙で、普通の人のものはともかく、貴族が書簡集を出せるほど残した時は、下書きと清書と写しがあったから、とどこかで読んだ記憶があります。
ってことは、愚痴でも文句でも、同じ文章を必ず控えを残したんでしょうかねぇ? (;゜〇゜)
この手紙類はどうだったのか、そんなことがちょっと気になりました。
本のお値段が痛いので(笑)、図書館でも探してみましょうか。
投稿: 鐵太郎 | 2010年8月31日 (火) 19:28
こんにちは。
先日マダムの伝記「ヴェルサイユの異端公妃 リーゼロッテ・フォン・デア・プファルツ」(多分こういうタイトルだったような…)を読んでみました。フランス宮廷の中で彼女の考えていた事や意見を知ることが出来てとっても面白かったです。第三者の目線から見た宮廷や当時の社会のことがよく分かりました。
投稿: 867 | 2010年8月31日 (火) 16:46
☆867さん
グラン・ドーファンの性格ですか。
こりゃあ、言ったもん勝ちでしょうね。当時、正確で客観的な記録は少ないですからね。良君とされた人は常に慈父のごとく心穏やかで公平であっただろうし、暴君は凶悪な危ないヤツとされるもの。
日本で言うと、殺生関白として有名な豊臣秀次や、関ヶ原の裏切り者で有名な小早川秀次なども、実は真面目でいい人だったんだよと言いだす人もいます。織田信長の命で殺された家康の長男、松平信康も父に忠実な穏やかな名将だったと言われるし。
ルイ14世などのように、その生涯の記録が非常に多ければある程度絞り込めるでしょうが、時代の中で脇役に過ぎなかったグラン・ドーファンあたりなら、書き手の都合で何とでもなったのではないかな?w
マリー・アントワネットの解釈について、大デュマが「王妃の首飾り」で描写したような見方もあると知って驚いたことを思い出します。あの本では、ちょっと間抜けで自分中心だけど、公平で博愛的で、国家を統べる王妃としての威厳もユーモア感覚もある人として書いています。なんかほっとする描写でした。
投稿: 鐵太郎 | 2010年8月 3日 (火) 19:53
お返事ありがとうございます。
あぁ、確かにルイ14世は雨に降り込められたルイ13世がアンヌ・ドートリッシュと一夜を過ごした時に出来た子と言われてますから、誰かが見てたとも思えませんね。
衆人環視の出産といえば、ちょっと後の時代では、マリー・アントワネットがそういう状況で出産して死にかけたりしてますよね。私なら産むのも見るのも嫌だなぁ(汗)
もう一つ気になってるんですが、グラン・ドーファンの性格が、おっとりしてたっていうのと、怠惰で凶暴っていう2パターンあるんですよ。どちらが本当なのか気になります。
全く関係ないですが、ベリー公とシャルトル公が誕生日でしたね。1人でおめでとうを言いました。
投稿: 867 | 2010年8月 3日 (火) 16:15
☆867さん またまたどうも。
王室の寝室を番していた、というか国王のセックスを監視していたってのは、フランス王室だけじゃないと思うけどほかは記憶がないかな。国王の地位が、サリカ法だかなんだかで血統によるものと規定され、王の子供だけが継承権を持つというルールができて以来、本当に王の子供なのかということを間違いなく確認する必要ができたのです。
だから、時代によるけどヨーロッパのかなりの王妃や公妃が、衆人環視の中で出産して本当に正しい子供であると証明したし、子供を「仕込む」時もそれを確認する必要があった訳。
生臭い話だけど、面白いでしょ?
だからルイ14世の誕生がいかにルール違反だったか、って事もあるんですけどね。(笑)
本ですか... いろいろなところに書いてあったと思うんですが、なんだろう?
佐藤賢一さんの本とか、三銃士などのデュマの本とか、ギボンの本とか、あちこちの歴史小説や歴史解説本に書いてあったと記憶しています。シェークスピアにも書いてあったかな?
なにしろごった混ぜの雑学を詰め込んだ乱読野郎ですので、特定の本が今思い出せません。( ̄Д ̄;;
投稿: 鐵太郎 | 2010年7月30日 (金) 22:31
お返事ありがとうございます。
そうですね、いかにもマダムの方が真ん中を占拠してそうですよね(*^m^)
確かに、あの夫婦が一緒に寝てたとは思えませんね。私的には、結婚当初の話ではないかと思うんですが、いかがでしょう。でも、鐵太郎さんが仰るように、最初っからお互いに「同じベッドやだ」って思ってたっていうのも有り得ますよね。うーん、謎な夫婦ですねぇ。
へぇー、彼らの寝室には寝ずの番が付いてたんですか…。そんな事までは知りませんでした。それにしても、ほんとに色々とよく御存知ですね。何かの本に書いてあったのですか?
なんかつまらない上に無駄に長くてすみません(汗)
投稿: 867 | 2010年7月30日 (金) 17:08
☆867さん こんばんは
男色家のムッシューとマダムのベッドストーリーですか。
面白い。ありそうですね。
想像しただけで笑えそうですが、どちらかというと豪快磊落なマダムの方がベッドの真ん中を占めていたイメージが。(笑)
現実はどうかなぁ。こんなシーンがあったら面白いけど。彼らが同じベッドで朝を迎えるという場面は、あまり想像できません。当時の高位の貴族たちは、結婚とは血統を残すための相手を選ぶというためのもの。それ以上の恋愛感情は一切ないのが普通ですからねぇ。
国王夫婦って事になりますと、いつ子供が作られたか正確に把握するために、寝室には常に控えのものが不寝番して記録を取っていましたよね。王弟夫妻も王位継承権が高いのですから、誰かいたはずですし。
あ、そうか。不寝番が記録を残した可能性もあるな。墓まで持って行かなくてはいけない記録が漏れちゃったとか?( ̄▽ ̄)
投稿: 鐵太郎 | 2010年7月29日 (木) 20:27
お久しぶりです。毎日暑いですが、お元気ですか?私は暑さと宿題の多さに死んでます(笑)。
凄く些細な事なんですが、マダムとムッシューについて面白いエピソードを見つけたので書いてみます。2人が同じベッドで寝ていた頃、マダムはあまりにもムッシューの近くで寝るのが嫌だったので、なるべく夫から遠ざかるためにベッドのぎりぎり端っこまで移動して寝てたんですって。で、当然ながら、しょっちゅう落っこちてたそうです。脳内でリアルな画像が出てきて1人で笑ってしまいました。
私的には面白いと思うのですが…つまらなかったらすみません
(;;;´Д`)
投稿: 867 | 2010年7月29日 (木) 16:57
☆867さん こんばんは
うーむ、こう言う情報は、Wikiをあてにしていてもいまいち信用できないところがありますね。この場合は、おっしゃるように日本Wikiのミスでしょうか。
ふと思ったんですが、メーヌ公ルイ・『オーギュスト』って、もしかして8月生まれかなと思ったら違いました。名前は生まれた月に関係ないようです。(*^m^)
投稿: 鐵太郎 | 2010年5月13日 (木) 20:43
お久しぶりです。
スルーして頂いても全くOKなのですが、ブルゴーニュ公の誕生日は10月16日じゃなくて、8月16日でした。ウィキの日本語版では10月になってるんですが、英語やフランス語版では8月となっていましたよ。
細かい事ですみません(´・ω・)
投稿: 867 | 2010年5月13日 (木) 17:02
☆867さん どうも。
好きな場面ですか? うーん、いろいろあるのですが、解剖の場面かな。
その時代を描くのは大変でしょうけれど、現代人が理解できるレベルで、しかもその時代そのものを描こうというのはなかなか難しいでしょうね。
現代人の口調や考え方で書くと簡単でしょうけれど、そうしたら時代小説としてのリアリティがなくなる。SFでこんな描写をした本があったことが驚きでした。
こういう本が好きなのですが、なかなか見あたりませんねぇ。
投稿: 鐵太郎 | 2010年3月16日 (火) 18:31
お返事ありがとうございます。
いや、私も専門書とか、普通の女子高生は絶対に読みそうにない本を結構読むタチなんですよ。だから友人達に結構引かれたりするんですね(汗) だからこういう本とか大好きです。
鐵太郎さんはこの本の中に好きな場面とかありますか?私的にはマリー・ジョゼフ達がシェラザドを荷馬車に乗せて宮殿から逃げる所が大好きです。月明かりの中を荷馬車が走っていて、そのあとから宮廷の人達がパレードの衣装のままで追い掛けて来ているっていう情景が、かっこよくて。
投稿: 867 | 2010年3月16日 (火) 16:59
☆867さん ようこそ。
シャルトル公フィリップ2世なんて、実は全然知りませんでした。
ルイ14世の甥っ子がいたなんて、考えもしなかったし。
なにしろこの親父殿は女の子の格好で大きくなった変なヤツでしたので、子供の頃の話は多少知っていたものの、大人になってどんな人になったのかなんて興味がなかったもので。
歴史を扱った本ってのは、よけい勉強しなくてはいけない作者にとっては大変でしょうけど、読む方は新しい雑学ネタが増えておもしろいものです。
この本はとくに、スタートレック作家が書いた時代ファンタジーSFということで、なおさら管理人鐵太郎にとっては楽しいものでしたが、一般受けはしないと思っていましたよ。(*^-^)
あ、肖像画については、一般に公開されているものをトリミングしていますが、ちょっと大きすぎたかも。
投稿: 鐵太郎 | 2010年3月 9日 (火) 20:47
はじめまして。867といいます。
この本を先日図書館で見つけたので読んでみました。登場人物が豪華ですよね!シャルトル公のキャラの変わりようにびっくりしました。あとメーヌ公なんて存在も知らなかったので、新たに知れて良かったです。ちょっと関係無いですが、掲載されてる肖像画が素敵なのばかりですね。
では、また来ます!
投稿: 867 | 2010年3月 9日 (火) 13:11