お祖父さんと、あの夏のこと
「あの死んでいた111歳の爺さんの事件だけどさ、」と老母。
とりあえず、親父の方はともかくこちらは、現代のニュースに遅れてはいないようです。
「明治32年生まれなんだってね。お祖母さんの生まれた年じゃない。」
よく覚えているなぁ。さすが昭和一ケタ。
「へえそうだっけ。とすると、1899年か」
かろうじて中学だか高校だかで覚えた、1900年=明治33年という覚え方を思い出してコメント。
「お祖父さんはその4年前だから、1895年生まれなんだね」
「あ、そうか、日清戦争の頃だったよね」
たまに、記憶力を絞ってみるのもいいことだな。
このお祖父さん、鐵太郎氏が大陸で陸軍技術士官として弾着観測をしていたのは、1920年頃かな。もう少し後かな。昭和が始まった頃だよね。
日本という国家が、身分不相応ながらも精一杯勢力を伸ばしていた時代。
今見るとこの国が、たくさんの小さな失敗、いくつかの大きな失敗、そして夜郎自大な野望を掲げていった、まさにその時代でした。
初級士官で退役して鉄道関係の民間会社に入った祖父にとって、この時代はどんなふうに見えたんだろう。
祖父鐵太郎は、昭和の終わり頃、珍しく東京に大雪が降った日の数日後、心臓を患って大往生しました。のちに聞いた話ですが、日課にしている10km以上の散歩兼スケッチができなかったことで一気に健康を害したらしい。
凡人は日ごろたいしたこともしていないから、エンジンをいきなり止めても平気だけど、毎日大馬力で走っていたエンジンは、アイドリングもなしに止めるとメカニズムが持たないんだね、と技術屋の端くれは思ったもの。
まぁ、かといって廊下で足踏みでもすればよかったのに、とはまさか言えないけど。
もっと話を聞きたかったけれど、もう遅いね。
そういえば、今年の夏の暑さは初めてだ、と老母の弁。
あの夏も暑かったけど、今年はそれ以上かもしれない、と。
老母の言う「あの夏」とは、たいていの場合昭和20年8月15日のこと。
そうか、そんなに暑かったのか、あの日は。
戦争が終わって、今年で65年になります。
この平和は、いつまで続いてくれるかなぁ。
久しぶりにモスバーガーに行って、三年ぶりに復活したというナンを食べました。
ナン・タコスの方ね。
この暑さなんだから、もうちょっとぴりっとしてても良いかな、と思ったけど、贅沢かな。
でも、美味かった。写真は、メーカーサイトより。
| 固定リンク | 0
「雑談」カテゴリの記事
- 無題(作・夏目漱石 大正5年11月19日)(2021.12.30)
- 欲識生死譬(中唐・寒山の漢詩)(2021.01.23)
- ことよろ のみ。(2017.01.02)
- あけおめ・ことよろ(2016.01.01)
- 診察結果 2015-09-10(2015.09.13)
コメント