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2010年10月13日 (水)

たまに社会ネタ。ただしアマノジャクの。追記あり

 エコ と ボランティア と 産業界の振興 と もったいないということ について、ちょっと考えさせられるブログの記事がありました。
 ツイッターでちらっとつぶやいたネタですが。
 元は、ドイツ文学者、翻訳家、児童文学者の池田香代子さんのブログ。最近ずっと拝読しています。

 詳しいことは、下記リンク先を参照。(無断リンク、ごめんなさい)
 

アフリカに子供服を送らないで ボランティアの光と影

続・アフリカに子供服を送らないで ボランティアの光と影 

続々・アフリカに子供服を送らないで エシカルファッション

ほんとにお終い アフリカに子供服を送らないで&反エコキャップ 反響篇

 いらなくなった子供服などを、開発途上国へ送るということは、ボランティアとして大変魅力的な行為であるけれど、それは回りまわって開発途上国の基幹産業を脅かしかねないんだよ、と言うところから始まったいろいろな話です。

>どうも私たちは「タンスの肥やし」の良心が痛まない処理方法として、途上国に寄付することが好きなようです。でもその善意、ちょっと待った、と言いたいのです。善意が思わぬ影響を及ぼす一例です。

 という言葉に、ずきりとするかにやりとするかで、読み手の人間性があぶり出されそうな。
 鐵太郎はどっちかって? むろん後者です。ひねくれ者だもの。( ̄ー+ ̄)

 右肩上がりだった経済状態が停滞し、世界第二位の経済大国の座から滑り落ちて復活できる見込みもない我が国ですが、豊かだった時代に植え付けられた生活習慣からは抜けられないのですよね。
 昔に返れ、あの素朴な時代こそ正しいと唱えながら、いまの文明を捨てることができる人は一握りもいない。
 エコだの地球を愛せだの言いながら、新しいエコ対象商品を買わせる産業界、買ってエコをした気になる消費者の連鎖はそのまま。

 結局ね、いまの文明は一種の自転車操業で、どの鎖のリンクも外せないんですよ。
 二酸化炭素の排出量を減らす新型の機械設備を開発することが産業の振興に欠かせなくなった今の社会。排出量を減らそうと思ったら出さなければいいじゃない、とは誰も言わない。
 それを行えば、文明が崩壊する。
 先進国は地球に優しい新しい産業を構築して振興させることで、うしろめたさを隠す。
 開発途上国は、いずれ先進国のような生活を享受するために、先進国の産業の下請けとして這いずり回る。
 それが現実。

 うしろめたさを糊塗するためのボランティア、エコ運動か。
 それもまた、先進国に生まれた者の負う十字架なのかもしれませんね。かといって、誇るのはまだしも、卑下するのは嫌だな。
 それならそれでいいじゃない。そう生きるしかないんだから、我々は。
 とはいえ、自己欺瞞でもなんでも、現実に自分たちの拠って立つところは知っておくべきだと思うよ。苦い薬かもしれないけどね。( ̄Д ̄;;

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コメント

☆で~でり先生
 ボランティア自体を貶すわけじゃないんですよ、むろん。
 うちの母などは、今もなお盲人向けの本の朗読をやってます。
 まぁこれで近所とのコミュニケーションが取れるし、役に立っているという自覚も出るし、なにより人に感謝されるし人を仕切れるのが楽しいようです。

 でもさ、エコってどうもそんなレベルを超えてうさんくさい。
 まぁ、害にならなくてみんなの心が安まり、それで平和になるんなら多少うさんくさくてもいいかも。
 ひねくれ者が何を言おうと、そりゃ根性曲がりのタワゴトなんですからね。(o^-^o)

投稿: 鐵太郎 | 2010年10月14日 (木) 12時14分

ε(^0-0) ウリもどちらかと言えばひねくれ者で~
確かにエコキャップに関しては分別という面からしたらリングが本体に残っている時点でどうなんだ?というのも気になるし、わざわざキャップを集めて送る費用を考えたら1本がまんしてその分の金を送れというのも分かります。が、綿花畑でも途上国にしたら重要な産業であり、それでオマンマ食ってんだよなとも思ったり。ペットボトルのデポジットなんて、みんながきちんと持ってくるという極端な性善説に基づいてるなぁとも思います。

投稿: で~でり | 2010年10月14日 (木) 08時42分

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