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2010年11月 8日 (月)

「ポンパドゥール侯爵夫人」人物ネタ。その2

 「ポンパドゥール侯爵夫人」ネタ。
 ルイ15世暗殺事件の次は、
 奇妙な宮廷貴族・リシュリュー公爵
 参考のため、主要な二人の生没年を。
 ポンパドゥール夫人(1721/12/29-1764/4/15)
 ルイ15世(1710/2/15-1774/5/10 国王在位:1715/9/1-1774/5/10)
 
 リシュリュー公爵ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ(Louis François Armand de Vignerot du Plessis, duc de Richelieu  1696/3/13-1788/8/8)
リシュリュー公爵ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ(Louis François Armand de Vignerot du Plessis, duc de Richelieu) ルイ14世、ルイ15世、ル16世とブルボン朝3代に仕えたフランスの貴族、軍人。リシュリュー枢機卿の大甥。
 ルイ15世の14歳年長、ポンパドゥール夫人の25歳年長。
 本の中ではとことんネガティヴに描かれていますね。
 ・・・もう一人宮廷で重きをなしていたのが、リシュリュー公爵だった。美貌と魅力と勇気がある半面、性格はよこしまで腐っていて、根は背信者という彼は、なにをしても認められ、許されるという得な男だった。摂政オルレアン公の母君である「王弟妃殿下(マダム)」は、彼についてこんな事を述べている。
 「もし私が魔術を信じていたら、公爵には何かしら朝自然的な秘宝が備わっていると思ったでしょう。なぜといってあの方に少しでも抵抗できた女性など、ひとりも知りませんもの」
 男性ですらリシュリュー公爵に抗することはむずかしく、まして徹頭徹尾にとまではいかなかっった。

 ・・・ひどい言われようですな。(笑)
 これは、ルイ14世が作り上げた宮廷世界が生み出した、宮廷貴族の典型なのでしょうか。
 ルイ15世の宮廷で、彼は「閣下」と呼ばれます。国王は習慣として貴族は称号で呼ぶのですが、この公爵をあまりたびたび呼んだので、面倒になって「リシュリュー公爵閣下」がだんだん省略されて「閣下」になり、それを宮廷じゅうが真似たらしい。
 政治家としてはセンスはなく、軍人としては多少の成功もあったが知将・良将とはとても言えません。彼の所業に手を焼いた妻の父によって一回、妻の従弟を軍務に就いているさなかに決闘で殺したために一回、バスティーユに送られていますが、ほとぼりが冷めると平然と宮廷に戻って国王たちを笑わせるのでした。そう、フランス宮廷においてもっとも重要な能力は、国王を笑わすことであったのです。

 このリシュリュー公爵が、ポンパドゥール夫人とウマが合わない。
 既得権益を持っている宮廷人が新参者を排除するというような事ではありません。この宮廷のルールでは、新しい人気者におもねって吸い付き、共に出世すればいいのですから。
 当時国王の寵を得ていた他の宮廷人、アヤン公爵やコワニー公爵などは、むしろポンパドゥール夫人に好意的だったのですから。
 ただこの二人、不幸にも気が合わなかったようです。
 
 この二人の暗闘は、ポンパドゥール夫人が死ぬまで続き、どちらも紆余曲折はあったものの王の寵を失うことはありませんでした。
 リシュリュー公爵が成り上がり者を嫌悪しているのではないことは、ポンパドゥール夫人の後釜に座ったデュ・バリー夫人と仲がよかった事でもわかります。日本版Wikiには、リシュリュー公爵がデュ・バリー夫人をルイ15世の愛妾にするために手を尽くしたかのように書いてありますが、それはちょっとちがうのでは。

 大デュマの「王妃の首飾り」の冒頭、1784年4月に82歳になるリシュリュー公爵がデュ・バリー夫人を含む友人・知人を集めて会話する場面があります。完全なフィクションでしょうけれど、宮廷人とはこんなエスプリをまとった丁々発止の会話を交えていたのかねぇ、と楽しめます。

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