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2011年8月の16件の記事

2011年8月28日 (日)

先週買った本(2011/8/21~8/27)

 なんだかいろいろ...なかった一週間であった。
 回ってきた仕事が奇妙で、対応に苦労したけど、それだけ。

 ともかく、二冊のみ。平和...かな?
 
 

 
マリアナ機動戦 5―覇者の戦塵1944 著者:谷 甲州
マリアナ機動戦 5―覇者の戦塵1944 しばらく見なかったな、これ。
 
 と思って買ってから気づいた。
 これ、5巻なんだけど、4巻ってまだ買ってなかったんだね。
 どおりでお話がなんだか繋がらないと思った。(気付よw)
 禰(ね)式翔竜っていう誘導ミサイルが実用化されたあとの、日米海軍の艦隊戦が今回のテーマだけど、前の巻をともかく読まないとイカンな。

 
ヴァリオと番人 (宇宙英雄ローダン・シリーズ 407)
 著者:クラーク・ダールトン,エルンスト・ヴルチェク

ヴァリオと番人 (ハヤカワ文庫 SF ロ 1-407 宇宙英雄ローダン・シリーズ 407) 内容は、  ・・・読んでから考えよう。(またかよ)

 さすがに三冊積ん読状態になっているのは遺憾であると思い始めたので、読んでみるかな、ちっとずつでも。
 ふう。
 

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2011年8月27日 (土)

テメレアとキルガードとフランケンシュタイン

 ...とモヒカン。長すぎたので表題では一つカット。
 最後に、 あるいは価値観の断絶 とつけたかったけどこれも割愛。
 なんて弱気なオイラ。(笑)

 NHKラジオのオーディオドラマで、「青春アドベンチャー」ってのがあるんです。
 AM放送で、月曜から金曜まで、22:45-23:00までの15分間。
 ここで、今年の2/21-3/4まで、「フランケンシュタイン」と題して10回連続で放送されました。
 フランケンシュタインというと、例のホラー映画の怪物のことだと思うでしょ?
 まぁ、これも演劇と映画文化がきめつけて、普通の人が信じ込んでいる幻想。
 実はフランケンシュタインとは、生命を探求していたある若い青年のこと。ヴィクター・フランケンシュタイン。彼が作り上げた生命体、それも、醜く作られた失敗作が「怪物」と呼ばれ、これが一人歩きしてしまったのです。

 で、メアリ・シェリーの書いたこの原作に従ってかなり忠実に作られたのが、このラジオドラマ。けっこう巧く作ってあります。エライ。
 (興味ある方は録音している人に個人的に頼んで入手されたし。あるいは、販売もしくは再放送されることをNHKに懇願すべし)

 さてこの中で、多少ネタバレになりますがフランケンシュタインの怪物は、醜く作られた自分を憐れみ、そんな体に作ったフランケンシュタインを呪い、フランケンシュタイン家を破滅させて復讐しようとします。
 幼い弟を殺し、若いメイドに殺人の濡れ衣を着せて処刑させ、友人を殺し、従妹を殺すと脅す。脅してどうするのかというと、人並みの幸せが欲しいからオレ専用の醜い女を作れ、そうすれば全てお前の罪を許してヨーロッパから去ると要求します。
 ロマン文学としては面白く考えさせられるのかもしれないけど、この考え方の身勝手さはともかく、なんというか価値観の硬直が痛い。

 自分の正当な(と信じている)考えは正しいと信じ、犯罪を犯しても自分の信条を説明すれば理解されて許されると確信している。

 話せばきっとわかる、みな神を信じ、家族を愛し、社会の正義を信じるはずだから。
 じゃあ、自分と違う価値観の人はどうするの?
 そんなものはいないに違いない、と片付けてそれでいいの?
 ま、メアリ・シェリーの世界ならいいのかもしれん。なにしろあの本の中で、ヴィクター・フランケンシュタインくんは自分の生活費を稼ぐための労働は一切行わず、ヨーロッパ中だけでなく北極海まであちこち旅立てる脳天気な人だから、他人の生活の大変さも生きる苦労も知ったこっちゃないし、好き勝手に
高踏的な悩みに悶えていられるお気楽な階層だもの。そんな価値観の相違など、考える必要はないのかもね。
 読者だって、そんなことは期待していないんだろうし。

 で、読んだ本「モヒカン族の最後」と読み終わった本「キルガードの狼」で、なんとも言えん違和感、不快感を持った原因は、やっぱりここなんだろうなと思った。

 要は、自分の価値観の中で悩み、苦しみ、怒りにかられて力をふるい、自分を正当化し、悔いて許しを請う。そして許しを求め、罪にかかわらず許される。
 狭い価値観というお約束の中で展開するお話だから、しかたないんだろうな。
 その価値観を共有できなければ読むな、ってことだろうな。

 しゃあないか。

 という訳で「テメレア戦記」。 (長い前ふりだね、いつもw)

 第1巻を読み始めた時、お話は面白いんだけどそんな価値観を要求される物語かと思って構えてしまった。いろいろなところでね。でも第3巻から第4巻となると、なんとなく変わってきたんですよ。これは嬉しい驚き。
 科学的な意味での設定の無茶ぶりは、目をつぶるしかないんだろうけどね。(笑)

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2011年8月25日 (木)

高貴なる者の責任

 時々のぞいているネット記事の一つに、東国原英夫氏、つまり元宮崎県知事、元東京都知事候補、元芸能人そのまんま東のブログがあります。
 昨日、
ノーブレスオブリージ と題して、島田紳助氏の引退宣言を惜しむ記事が上がっておりました。

 東国原氏の意見は意見、それはそのまま受けとります。
 島田紳助という芸能人として希有な才を保った人が、社会的責任を感じて潔く身を引く、惜しいことであるがその意気や良し、とのこと。
 そこで、ノーブレスオブリージという言葉を使う。
 彼のように才能秀でた人は、その才を生かし、もっと社会のために尽くしてもらいたい、とのこと。

 言いたいことはわかる。
 けどね、と鐵太郎は思う。

 ノーブレスオブリージとは、いわゆる銀の匙をくわえてきたような、何不自由ない上流階層に生まれた者は、その幸運を享受して生きる権利はむろんあるが、国家や郷土に危機が迫った時真っ先に自己の身を捧げる覚悟を持つべき、といった意味ではあるまいか。
 島田紳助氏には才があるらしい。人を引きつけ、芸能界で人気者、大ものとして君臨できる才が。
 その才は、彼が持って生まれたものと、苦労して身につけたものでしょう。
 それはそれで尊敬すべきかもしてないけれど、だからどうした。
 ノーブレスオブリージという、生まれついて高い階層にあって、何かあったら先頭に立って自己を犠牲にする覚悟とは、次元が違うよ。

 東国原さん、鐵太郎はその言葉の使い方はおかしいと思う。

 ちなみに鐵太郎は、芸能界で人気者として君臨する才能は、人間社会の中で高い価値があるとは思わない人。単にテレビ界という人気商売の中で受けることが社会的に優れた人間であるとは思わない。
 だから余計そう思うのかもしれないけどね。
 価値観の相違でしょうね。

 しまった、めずらしく時事ネタを書いてしまった。(笑)

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2011年8月21日 (日)

先週買った本(2011/8/14~8/20)

 先週、不意にネット友人より連絡あり。
 そっちに行ってミニオフ会するから出てこない? とのこと。

 帆船関係じゃなくて、もっと不穏なグループの人たちです。(くすくす)

 こちらの気分は低迷中ですが、せっかくのことであり、気分転換になるかもと思って合流。
 あちらの方々の気分を壊さなきゃいいんだけど、という不安もあり。 

 久しぶりに大声で笑いました。こんな気分になったのは何ヶ月ぶりかな。
 費用はともかく、人間ガス抜きをしなくちゃいけないんだよね、多分さ。

 

 ともかく、先週は一冊のみ。
 面白そうな本を見つけたけど、そんなこんなでサイフの神様を怒らせないように抑えめに。

奥州藤原氏―平泉の栄華百年 (中公新書) 著者:高橋 崇
奥州藤原氏―平泉の栄華百年 (中公新書) 源義経を育て、そしてその命を奪うこととなった奥州の後藤原氏。
 彼らの時代とはいったい何だったのか。
 ちらっと手にとって、なんだか無性に読みたくなりました。

 この作家は、今まで東北地方の古代史を 「蝦夷」 「蝦夷の末裔」 という二冊を書き、この本がその最終章になるものなのだそうな。
 面白ければ、さかのぼって探してみてもいいかな。
 

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2011年8月16日 (火)

暑いっっっ!

 室温36.2℃。ダクト式扇風機(ダイ●ンではないよw)を「強」にして、扇風機の前に冷凍庫で凍らせたペットボトルの氷をおいて、ひたすらだらけています。

 けさ、朝方晴れるとの昨日の天気予報を見て朝日を見ようと思ったのに、3時に起きたら全面雲におおわれており、がっかりして寝てしまいました。
 それ以後、連休最後の日だというのに、みごとにグダグダ状態。

 

 実家の母の所に、ドイツの姉から電話が来たそうな。
 あちらは、最高気温が20℃で寒くてたまらないとのこと。

 よぉしっっ! とガッツポーズ。
 ざまみろ、クラウツども。
 日本だけ不幸でいてたまるかっっ!

 今年は放射能が心配ないので日本には行かないよ、との連絡があったあとなので、ますます快哉を叫ぶこの心の狭さを、神よ許し給え。

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2011年8月15日 (月)

帰省 あるいはこれを聴いた遠い日々

 「帰省」とは、安田祥子、由紀さおり姉妹のアルバム「あしたの思い出」に収録された佳品。2000年に発売され、のちに2003年にシングルカットされたもの。
 都会に出て脇目もふらず働いた人たちが、お盆と、正月に故郷に戻って、心の洗濯をするという歌。

 この季節には、いつも思い出す歌なのですが、鐵太郎自身はあまりこの体験をしていません。親子二代にわたって地に足が付いた故郷がない人間だからかな。
 両親は終の棲家を見つけたけれど、息子はまだまだらしい。

 この姉妹の歌は、こんな感じ。

  帰省
 

遠い国の客には 笑われるけれど
押し合わなければ街は 電車にも乗れない
まるで人の全てが 敵というように
肩を張り肘を張り 押しのけ合って行く

けれど年に二回 八月と一月
人ははにかんで道を譲る 故郷からの帰り
つかの間 人を信じたら もう半年がんばれる
 

機械たちを相手に 言葉はいらない
決まり切った身振りで 街は流れていく
人は遠くなるほど ものに見えてくる
転んだ人をよけて スクランブルを渡る

けれど年に二回 八月と一月
人は振り向いて足を止める 故郷からの帰り
つかの間 人を信じたら もう半年がんばれる

 

 なんだか、聞いていて胸が詰まる歌です。
 特にこの時期だと、なおさら。
 作詞作曲は中島みゆき。彼女がセルフカバーしたものもあり、これはこれで別の味わいがありますね。
 なにより、彼女の音域に会わせて四度くらい下げているので、口ずさみやすい。ウン。

 どちらもCDで持っています。由紀さおりのCDを買うことがあるなんて、思いもしなかったっけ。(その昔はカセットでエアチェックの時代だったしw)

 

 夜、花火かと思って外に出たら、雷の音でした。
 ガンガラガンガラすごい音。雨は降らないのに、雷が空に光ります。
 そのまま山の方へ車を走らせ、帰宅途中で町の灯りの上を、龍が走るように左から右へ、車のフロントガラスいっぱいに稲光が走りました。
 なんとまあ、豪快な。
 でも結局、雨は降りませんでした。
 

 ああ、SF者の端くれとして、亡くなられた小松左京氏についてひと言あるべきなのかもしれませんが、日本のSF作家についての偏見による拒否反応(人、これをアマノジャクというw)が盛んだった頃に手にしただけに、氏の著作はほとんど読んでいません。よってコメントできません。
 まともに読んだのは「エスパイ」だけとなると、拒否反応が起きても不思議ないかもね。(あはは)

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2011年8月14日 (日)

先週買った本(2011/8/7~8/13)

 なにかとごちゃごちゃの一週間。
 まァいろいろあったし、前途多難だけど、とりあえずお盆休みに入ったね。
 休み明けに変な仕事がある予定だけど、相手方も材料屋さんも休みだから、前もって仕事を進める訳にもいかない。ま、いっか。

 関祐二さんの面白そうな本を見つけたけど、今回はやめておこう。

 そうそう、今回からここの本の画像は、本編の画像の80%の大きさにすることにしました。理由は... 秘密よ。(別に取り立てて言う事じゃないのさw)

 
救出ミッション、始動! 著者:マイク・シェパード
救出ミッション、始動! (ハヤカワ文庫SF) 自分の本の表紙絵について、「女の子。銃を持っている。なるべくデカい銃を」 という健全な要求をしているマイク・シェパードの、 海軍士官クリス・ロングナイフ シリーズ第二巻。
 前回は叛乱で、今回は救出なのだそうな。原題が「Deserter」つまり脱走者なので、展開はいくつか考えられますな。
 1100円の分厚い本です。面白くないと承知しないぜ、おい。
 
オリンプでの邂逅 (宇宙英雄ローダン・シリーズ 406) 著者:ペーター・テリド&H・G・フランシス
オリンプでの邂逅 (ハヤカワ文庫 SF ロ 1-406 宇宙英雄ローダン・シリーズ 406) 内容は、  ・・・読んでから考えよう。
 あとがきで、五十嵐さんがこんな言葉をネタにしています。

 ここで会ったが百年目 盲亀の浮木 優曇華の花

 へえ、後半にこんな言葉も付くのか。
 その意味は、この本のあとがきを見ればわかります。言葉ってすごいね。
 

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2011年8月13日 (土)

いかんいかん、

「モヒカン族の最後」と「ジェイムスン教授」シリーズ。
書いていてだんだん過激になって来た。
頭を冷やそう。

前者は作家の思いの空回りをどう評すべきか、ってところ。

後者は作家の科学に対する無知を笑ってすますことと、幻滅感をどう書くべきかということがひとつ。
むろん、挿絵画家としての藤子・F・不二雄さんには、限界はあるものの素晴らしいと思うと評しておきます。これはホント。
問題は翻訳者としての野田氏に関する個人評価だけど、これは意見が分かれるところだろうなぁ。偏見もあるかもしれない。
 

SFは絵だねぇ といったのは野田大元帥だけど、ぼくはそう思わない。絵は、たくさんの要素の中でもっと優先度はあとになると思う。
でも、いい絵はやっぱり良いよね。一番の要素じゃないけど。

ともかく、寝よ。

明日はもっとまともなものを書けるに違いない。

 

あ、明日は出かける用事があったっけ。(,⌒-⌒) ノシ

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2011年8月11日 (木)

「ラスト・オブ・モヒカン」一考。

本サイトの方で、「モヒカン族の最後」を上げているので、ついでに去年(2010/12)にNHK-BS2で放映した映画を見直しましたよ。
で、あっちに書いてみてあまりに不穏当になってしまったので、こっちに移します。

この本を元に何度か映画化がされました。最近では、1992年にマイケル・マン監督により映画化がされ、「ラスト・オブ・モヒカン」 の邦題で日本でも放映されました。

Mohicans この恐ろしくセンスのない邦題とか、映画の説明文句にある 「イギリス軍人の娘と、誇り高き先住民の最後の生き残りであるホークアイとの恋を描く」 などというすさまじい的外れの宣伝文句とか、見るにはハードルの高い映画でしたが、やはり内容もそれに応じたものでした。残念。

ストーリーは原作に忠実でないのはしかたないけれど、これでアメリカの読者は納得したのかしらん? 若くて一途なヘイワード少佐の性格付けが、ものすごく悪くなっているのはなぜなのかな。ホークアイが伝説的な森の勇者という役どころから、たんなる恋するお兄さんになっちゃっては興ざめもいい所。

恋する役どころがあの人たちからこの人たちに代わり、きょうだいの年の順番が代わり、お話の筋がワヤワヤになってますな。
まァ、原作を読まない人にとってはこれでいいのかも。
つっこんでもしゃあないか、やっぱ。

英国の砦を攻めるフランス軍の臼砲による攻撃が格好いいし、その他の戦闘場面もなかなかスリリングで良いですね。そこだけは買えます。
英国の軍服に身を固めた部隊が、場違いな平原の森の間で射撃体勢を取る所など、なかなかのものです。
しかし装填に時間がかかる前装銃をバンバン撃ちまくっているところとか、重砲の使い方とか、
あちこちアラだらけでこまった。感動を盛り上げるにしても、こんな場面を見ちゃうとやっぱりダメだよね。

インディアンのストイックさとか、感動できる場面は多いはずなんですが、原作との比較を考えると、いささか問題あり。あちらは悪いヤツの邪恋というテーマで一貫していたんだけどなぁ。
老インディアンのチンガチグックと共に若いアンカス(ウンカス)の成長を見守るホークアイが、この映画ではチンガチグックの息子扱いになってるのは、やっぱり気に入らん。でも映画的にはしかたなかったのかも。

ま、いいや。どうせおまけで見たんだから。(おいおい)

  サイトの本編はここ → 愛書家の縁側 モヒカン族の最後(上・下)

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2011年8月 9日 (火)

フリントロック式のライフル銃

真面目な研究などではありません。
思いついたネタを書くだけ。

あ、石を投げるなら青爺さんに投げて!(,⌒-⌒)v

「モヒカン族の最後」は、フレンチ・インディアン戦争 (1755-1763) を背景にしています。
これはヨーロッパで起きた
七年戦争 (1756-1763) を背景に、アメリカ植民地で起きたイギリスとフランスの戦争です。

ヨーロッパの戦争は、プロシアのフリードリヒ大王による戦争の一つであり、国家と国家の合従連衡のパターンがこれでもかと繰り返された当時の戦争の一つです。これについて語れば長~~くなるし根気もないので、今回は割愛。(,⌒-⌒)v

ヨーロッパでは、今回は暴れん坊プロシアと打算のかたまりのイギリスがタッグを組んで、フランス、オーストリア、ロシア、スウェーデン、そしてスペインなどと戦ったのですが、新大陸では違った。
この騒乱を利用して新大陸のショバを俺たちでシメてしまえ、という英国の思惑があり、英仏の激突に終始します。むろん、利用できるものはなんでも利用しちまえとばかり、現地での戦闘員として最高の技量を持った現住民、インディアンを両方ともフルに活用します。使役します、といってもいいかも。

「モヒカン族の最後(The Last of the Mohicans)」とは、この時代の中でモヒカン族が最期を迎えた悲劇  ではなく、モヒカン族の未来を担うはずの若者の死を描きます。詳しくは週末をお楽しみに。(いいのか、約束しちゃって?)

そこに、「長い銃(Long Rifle)」という名で呼ばれる白人の男が出てきます。本人は自分の小銃を「鹿殺し(Kildeer)」と呼ぶのですが、その銃身の長い小銃を駆使して敵を容赦なく狙撃する勇者の名を、敵味方のインディアンは「長い銃」という名で呼んで讃えた訳。
詳しくは週末を(ry

 

ライフル、つまり銃身の中に螺旋状のミゾ、施条を刻んで弾に回転を与えるという発想は、火縄銃のような昔の鉄砲を考えると、そうとう近代になってできたようなイメージがあります。しかしその歴史は以外に古い。
なんと1400年代、つまり近代的な鉄砲の曾祖父の時代からその発想はあったらしい。丸い玉をそのまま撃つより、回転を与えた方が真っ直ぐ飛んで有利なんだぞ、というもの。
野球のボールが、きちんとコントロールしないと曲がってしまう事を考えれば明らかですね。厳密に言うと、ピッチャーが投げる野球のボールはほとんどが曲がっているのですけどね。主に、スピンを掛けて上の方へね。

さてライフル。
そんな訳で、丸い先ごめ銃であっても、量産品のものでなく金をかけて中を削って施条(ライフル)を彫った鉄砲、すなわちライフル銃はかなり昔からあったのです。

デメリットは、まず価格。ライフルを手作業で彫り込む、あるいは削り出す技術にかかる費用ですね。
それから、装填する手間。丸い弾を皮、紙、布などで包んでひとまわり大きくし、火薬を詰めたあとで銃口から押し込むのです。ただ転がし込んだだけですむ滑空の、つまり内側がつるつるの銃身の鉄砲より遙かに手間がかかる。時間がかかる。
反動が大きいという話もありますが、それはまた別な問題。

だから、一般的にみながライフル銃を持てるようになったのは、産業革命ののちに、動力による精密旋盤、ボーリング装置ができるようになって以後です。

 

そこで一つ疑問。
ナポレオン戦争時代には、有名なベーカーライフルという小銃がありました。
じゃあ、「長い銃」が持っていたライフル銃はなんだろう?

ネット友人のhush氏より、ミニエ銃ではないかという御指摘をいただきました。
が、ミニエ銃はベーカーライフルよりあと、丸い弾が椎の実型になったものなので残念ながらちがう。

只野氏より、ファーガソン・ライフルではないかという御指摘をいただきました。
ただしこれも、アメリカ独立戦争(1775-1783)のころに開発されたものらしいので、ちょっとちがうかも。

某サイトより転載。(元サイトが消えてしまってキャッシュしか残っていないので...)

1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると独立軍(アメリカ軍)はヨーロッパの狙撃ライフルよりも遙かに長く軽量かつライフリングを持つペンシルバニアライフルやケンタッキーライフルを使用しイギリス軍を圧倒した。45口径のペンシルバニアライフルは油を染み込ませた布に弾丸を包む装填方式で350m先の人間を狙撃するに十分な能力を持っていた。
一方イギリス軍はフリントロック機構を持つ後装式ライフル、ファーガソンライフルを発明。ファーガソンライフルはトリガーガードを回転させネジ式プラグをバレル後端から下方に降下させそこから弾丸と火薬を装填。装填後はトリガーガードを回転させ元に戻し射撃体勢が整った。ファーガソンライフルは命中精度も去る事ながら速射性に優れており1分間に6発の射撃が可能で雨や風の中でも問題なく射撃が行えた。1776年にファーガソンと彼のファーガソンライフル、そして訓練された兵士がアメリカに送られたが絶対数の不足から戦線を好転させるには至らず、ファーガソン自身も1780年のキングスヒルの戦いで戦死、ファーガソンライフルは歴史に埋もれていく。

キャッシュのURLはここ

じゃあ、「長い銃」が持っていたライフル銃はなんだろう?
ペンシルバニアライフルやケンタッキーライフルとよばれた小銃だろうか?
わからん。

宿題ですな、これは。

 

ところで、弾に回転を与えることによって弾道が安定するはず、という理論は、ちょっと調べてもどこにも書いていないのですが、小銃が生まれて以後ではないと思います。
誰かがすでにもうどこかに書いているでしょうが、もっと前からあったはずです。
絶対に。

弓矢の矢の、矢羽根には、回転を与えるためにわずかなひねり、あるいは裏表を回転するようにそろえた羽根が付いているのです。少なくとも、紀元前後の時代には間違いなく。
そうでない矢も、むろんあったでしょうけど、ちゃんとした職人の手になる矢は、洋の東西を問わず回転するように作られていたのですよ。

だから、ライフリングをほどこすという発想は、画期的ではあるけれど人々はその原理を知っていたんじゃないかな、当時でも。

いや、ただそれだけ。
ホントに書きたかったことは実はこれなのに、ここまでが長いな。 (,⌒-⌒)v

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2011年8月 8日 (月)

ダイソーの付箋

 を、買ってきました。
 そろそろ切れそうだったので。
 なんでたかが(失礼w)「ジェイムスン教授シリーズ」に付箋を12枚も使うんだろう。(;゜〇゜)

 で、帰りがけに100円ショップで買いました。
 前と同じものを買ったつもりなんだけど、ちょっと違うような。木の精か?

 失礼、単なるオヤヂギャグ。(,⌒-⌒)v

 
 

 

 帰宅してこれをおいておく棚にのせようとして、え?
 前に買っておいたものがあるんですよ。なんというボケ。アホ。自爆。

 これね。

Fusen

 左が、ちょっと前に買ったもの。
 ここでネタにしましたよね。  →乱読屋の休憩所:彷徨える艦隊6
 そうか、4月に買ったのか。(笑)
 それで、右が今日買ったもの。

 色は蛍光色でもっと輝く色なんですけどね。まぁスキャンの加減でこんな色。

 ものがね、型番は同じ 「ふせん No.113」 なのに違うよね。
 枚数が同じなのは、一列あたりの厚みが違うせいかな。数えてはいないけどトータルは同じなんでしょう。
 薄い方が束ねやすいとか、なんか意味があるんでしょうね。

 面白い。
 100円ショップも毎日いろいろ頑張っているんですねぇ。

 いや、ま、それだけ。これで合わせれば半年もつよね、多分。

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2011年8月 7日 (日)

今週分は上げた。よし。

 冊数的にはズルしてるけどね。

 正しくは、ホームズの「四人の署名」は、東京図書の「シャーロック・ホームズ全集」を含めて5冊以上あるんですが、今回は手元にあった早川と旧創元版を引き比べたので三冊扱い。でも厳密にはズルかも。(笑)

 現在読んでいるのは、まったく時代が違う三冊。

 「モヒカン族の最後」と「ジェイムスン教授 第3巻」と「信長・秀吉と家臣たち」

 無茶苦茶な選択だな、あいかわらず。

 

 あ、あれっ? 何か忘れているような気がするぞ?
 大事なものを放置していないか?
 カバーとあとがき、それに巻末の献辞の名前だけ見て放置している本がなかったっけ?

 なんだっけ、あれ。

 えーと、えーと...

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先週買った本(2011/7/31~8/6)

 先週はいろいろあったな。仕事もドタバタしたし、プライベートもどたばた。
 ま、いいや。先週見つけて、期待した本がイマイチだったのは残念だけど、ともかく二冊買った。

 
信長・秀吉と家臣たち (学研新書) 著者:谷口克広
信長・秀吉と家臣たち (学研新書) 信長マニアの谷口克広さんによる、信長・秀吉を中心にした歴史の見直しです。ある意味で、今まで書いたことの重複やまとめなのですが、最近秀吉が妙にこき下ろされている事への反論もあるらしい。

 そーいえばね、鐵太郎も今年の大河ドラマと称する「あんみつ姫・江」(笑)は、秀吉の解釈も含め、あまりにも歴史を馬鹿にしていると思っているんですよ。売れりゃあ何をしてもいい訳じゃないだろうに。

 そのうえ、鐵太郎の見る世界の歴史の中で、 「こんなヤツいなければ良かったのにリスト」 に入る人物は何人かいますが(決して多くはない)、茶々はランキングのいい位置を占めるんですよね。(けっけっけ)

 
経度への挑戦 (角川文庫) 著者:デーヴァ・ソベル
経度への挑戦 (角川文庫) たしかこの本は、ハードカバーの時にS.T.氏が前にどこかで紹介していたはず。(わた~しの記憶がたしかなら)
 文庫になっていたのに気づきませんでした。

 経度の測定とは、要するに精密な時計の開発です。航海記とか探検では欠かせないもの。
 楽しんで読めるといいなぁ。

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2011年8月 6日 (土)

なるほど、こんなものがあったんだ。

 ・・・というもの、二点。

 会津のね、幕末の歴史というと、白虎隊ってものが有名です。
 薩長の新政府軍によって賊軍とされた会津松平藩の戦いはここでは有名です。その中で特に有名なものは、実戦部隊としては若すぎる少年たちを補助部隊とした白虎隊です。

 負けた側なので、会津はなんにしても旧弊で昔ながらの戦い方しかできない愚かな軍隊と考える人もいるようですが、会津藩の軍制はは、国民皆兵に近いあの時代としては画期的な近代的な総動員体制といっていい。
 その中で子供たちで構成された白虎隊は、軍装が多少劣っていたことは事実だそうですけどね。

 少ない兵をそれぞれ街道の要所に配備して防衛戦を行って敵の疲弊を誘う、という会津藩の作戦は、物量にまさる新政府軍の大規模な迂回作戦によって破られます。
 このへんの展開は太平洋戦争に似ていますね。モノとカネがある方は数に任せて平押しするのではなく、大規模な迂回作戦を行う自由度を持っているものです。この戦訓を行かせなかった旧日本軍は、、  ・・・いや、これは別な話だわな。(笑)

 迂回され、あわてて会津に戻って飯盛山という会津盆地の東の山に疲れ切って到着した少年たち20名は、燃える城下町を見て絶望して自刃したといいます。その一人が死にそびれ、晩年になってようやく当時の事情を語ったそうです。
 地元では、悲劇としていつまでも語られています。

 さてこの記念館の施設に、こんなものがありました。

110806a

 昭和3年(1928年)にイタリアから送られたモノだそうです。
 台座の右に、こんな看板が。

110806b

 そして台座には、こんな文字があります。
 なんとSPQRですぜ、奥さん!(なにが奥さんだw) SPQRってのは、「ローマ元老院及びローマ市民」ってぇ意味で、ローマ共和国、ローマ帝国の時代に使われた言葉。

110806c 
 まぁ現代でもローマ市とかローマ市民という意味で使う言葉ですから、とりたてて騒ぐほどでもないんですが、この贈り主が当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったベニト・ムッソリーニだったとなると、話はとうもキナ臭い方向にむいてしまうようです。
 戦後にこれは、一度GHQによって破壊されたそうですが、なんとか一部を復旧してここに飾られているんだそうな。昔はペアの塔だったのかな?
 そのうち調べてみましょうか。(ヒマとやる気があったらねw)

 
 
 さてもうひとつ、ここには面白いモノがあります。
 こんな建物。

110806d

 「さざえ堂」といいます。上がっていくと途中でくだりになるんですが、上がりとくだりが交差しない面白い構造なんですよ。

110806e

 正面はこんな感じ。

 
 中は、階段ではなくスロープ構造なんですね。これもユニークですね。

110806g

 

 構造は、まァこんな昔の新聞の絵でわかりますか?

11080f

 ここでダビンチの名を持ち出さなくても、って気はしますが。(笑)
 前にここに来たのは、もう何十年も前でしたっけ。
 こんなに小さかったのかと、ちょっとびっくり。

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あお~~ん♪

 という吠え声が聞こえてきませんか?(,⌒-⌒) ノシ
 高速道路で撮った、夏の空です。

110806

 8月6日というのは、鐵太郎にとってあまりいい思い出がない日でした。
 でも、今年はいい年だったかも。

 どーでもいいことですが、鐵太郎ってのはバツイチなんですよ。
 で、めったに子供に会えないのね。まァ別に文句は言わないけどさ。

 今回は、久しぶりに会えたし、いろいろ話ができたので、ちょっと気分がいい。
 いい子になっていたから、なお嬉しい。
 居間のビデオはずーっとガンダムが掛けっぱなしになってたけどさ。(笑)

 だから、送っていった帰りにこんな空を見て、ちょっとうれしくなって、叫んでみたい気分になりました。

 あお~~ん。

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2011年8月 5日 (金)

2011年8月はじめのイカロス君

Ikaros_twitter 久しぶりに、イカロス君。
 データはいつもここから。毎度お世話になっております。
  →
「IKAROS-blog」

 いつの間にか、地球軌道の前でイカロス君は地球より内側、太陽の方に「落下」しつつあります。この先どんな軌道を描く予定になっているのか、わくわくしますね。
 金星の位置がわかると、いろいろ面白いんですけどね。
 どこかにデータがないかなぁ。

Ikaros_now

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