八重はどの道を歩くのか?
よくよく考えてみると、違う可能性がある。(おい)
と言うわけで、もう一度整理します。
会津は、盆地の中にあります。場所は福島県の西の方。ここに入るルートは、江戸時代まで限られていました。いまもなお、ですけど。
この先は、詳細な資料が手元にないので、記憶と推定とネット情報です。ごめん。
とりあえず、わかる範囲で説明します。順序は会津から見て時計回り。
1) 二本松街道ルート 二本松などの中通り(なかどおり)地方から、奥羽山脈の谷間、中山峠(なかやまとうげ)を通って猪苗代湖の北を回り込むルート。現在の国道49号線。現在は二本松より郡山市の方がはるかに重要な都市となったので、49号線はこちらを通っています。会津五街道の一つ。
2) 母成峠(ぼなりとうげ)ルート 郡山から見て、中山峠の手前にある温泉町、磐梯熱海(ばんだいあたみ)から北上し、母成山を経て磐梯町(ばんだいまち)で 1)ルートに合流するルート。
3) 御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)ルート 奥羽山脈の南端付近、御霊櫃峠を経て猪苗代湖の南をまわって会津の北東から入るルート。
4) 白河街道ルート 福島県の南端、白河より北上して、猪苗代湖南にある勢至堂峠(せいしどうとうげ)を通って 3)ルートに合流するルート。現在の国道294号線。会津五街道の一つ。
5) 日光街道ルート 現在の国道121号線。南下して、日光に至るルート。会津五街道の一つ。
6) 越後街道ルート 現在の国道252号線。このルートは、福島県の只見町を経て新潟県中越地方に入り、上越市に抜けます。明治以前、越後国の国府は上越にあり、かつての戦国大名だった長尾氏、上杉氏はこの側の春日山城を本拠としていました。
7) 若松街道(あるいは会津街道)ルート 現在の国道49号線。現在は新潟市に抜ける道ですが、当時は新発田へのルートであると共に、佐渡金山への主要道でもありました。会津五街道の一つ。
8) 米沢街道ルート。米沢藩に抜けるルート。商業ルートでしたが、明治21年(1888年)の磐梯山噴火で地形が大きく変わり、現在当時の桧原峠は使えず、昔と異なった道が121号線として通っています。会津五街道の一つ。
さてここで、3)のルートは、会津戦争で会津軍が中山峠と御霊櫃峠に主要防御陣を敷いたということで魅力的なのですが、白河に抜けるにはちょっと異なる。
では、4)の白河街道ルートではないか、と思ったのです。
ところが、大河ドラマの描写を見ると、かなり辺鄙な山の中というイメージ。参勤交代に使用することもあるという白河街道とは思いにくい。
では、もしかしたら、5)の日光街道ルートで南下し、途中の、現在の南会津郡下郷町で別れ、当時かなり荒れた道であった甲子道路(かしどうろ)を通って現在の福島県西白河郡西郷村まで抜ける抜けたんじゃないか。
どうでしょうね? ちがうかな?
とりあえず、次回の大河まで待ってみましょう。 (,⌒-⌒) ノシ
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