「八重の桜」特集3 (あは)
会津に行く用事がありました。
で、帰路、例の八重が歩いたという「背炙り山」方面ルートで帰還してみたのさ。
うーむ、すごい急斜面。なんで普通の北回りで行かなかったんだろう??
会津駅前。ほう。(画像はクリックすると大きくなります。ならない時はごめんねw)
駅前に止まっていた、なんともクラシックなタクシー。ちゃんと走るんだよね?
背炙り山ルート。道が細い。急斜面... となると、峠族御用達になるんだろうなぁ。
でも、道はもっと狭くなるからね、こういうタイヤマークは途中でなくなります。あは。
頂上で、こんな看板がありました。ハイキングコースとか、観光地になってますな。
自転車も何台かみかけました。
峠を越えた先。なんと!
雪がまだ残っていたよ。そんなに気候が低いのかぁ。
写真はまだいろいろあるのですが、時間がないのでとりあえずここまで。
これから荷造りしなくっちゃ。 (≧∇≦)
また、やる気が出たら上げます。
あ、今回の写真はカシオの小型デジカメ。色が悪いしなんか甘いね。
ま、いちまんえん ぐらいのシロモノだもの、後は腕でなんとかするしかないのか。(-_-);
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コメント
★とーこ様 おもさげナシ (それは方言が違う!w)
背炙り山からのルートを図示してみようと思ったんですが、あの山の上り下りの蛇行した道を示したのち、湖南(猪苗代湖の南)をまわって白河に抜ける道を描くのは、無理とわかりました... (-_-);
おそらく八重さんたちは、山を越えた後で湖南から「白河街道」ルートに入り、勢至堂峠(せいしどうとうげ)を抜けて白河に行ったのだろうと思います。白河からちょっと西にまわって北上し、背炙り山を越えずにさらに北に行き、磐梯山系の南、磐梯河東(ばんだい・かわひがし)の街道に抜ければ、それは会津侯の参勤交代ルートです。
ちょっと近道をするために、と同時に湖南から「敵」が北上するとしたらこの山を越える可能性があると考えてその下見に、ということでここを通ったと考えるのが妥当かな。
勢至堂峠の方も、そんなに楽な道ではありません。近年トンネルとバイパスができるまでは、けっこうきつい山越えでしたっけ。
そうそう、丹羽さんについて、こんな地元のお話があります。
節分の時、二本松では 「鬼は外」 と言ってはいけなかったのだとか。
殿様を追い出すとは何ごとか、ってことらしい。あは。
で、二本松では節分の時に 「オニーそと」 と言うのだそうな。
今はどうかな。それと、昔聞いた話なので、ある種の伝説かもしれません。(,⌒-⌒)v
投稿: 鐵太郎@帰宅中 | 2013年5月11日 (土) 21時55分
「ありがとなし」でよかったんでしたっけ?「コメントが亀レスで恐縮です」というのは会津ふうには言えない。
御霊櫃峠じゃなかったんですね。あそこからの景色は素敵なんですがね。でもあそこだとCGの人が当時風に修正するのが大変でしょうか?二本松藩が丹羽家だったと初めて知りました。
八重の見る会津磐梯山は、国設猪苗代スキー場がCGで消してあるのは苦笑してしまいますが、山頂付近も明治の噴火前に戻してあるのかな?と考えてしまいます。
現代のCG技術はすごいですね。
投稿: とーこ | 2013年5月11日 (土) 10時26分