(,⌒-⌒) v のこと。
(,⌒-⌒) v
↑
これは、現在ぼくのPersonal-Emblemですね。
某掲示板で、全く違うキャラを演じていますが、そのときもこれを使っています。
そのうちばれたら、とんでもないことになるんだろうなぁ。(笑)
同時にこれは、友好的なサインでもあります。いやなとき、気分を害したときには使いません。
某掲示板で、悪ぶって他人が不快になることを楽しんで投稿する人がおります。彼は、馬鹿ですが、多分自分が他人を不快にさせていることを承知しています。愉快犯なのですね。
だから、これはある種のゲームだと思って、叩きます。良いことではありませんし、礼儀正しいとは言えないことですよね。
この時、(笑) とか、 w とか、笑いを示すネット用語を使います。
これは、「微笑」でも、「共感の笑い」でも、「自嘲」でも、「照れ隠し」でもありません。
「嘲笑」であり、「憫笑」です。
よく考えると、いやな話ですよね。
あとでその場面を文字として見直したとき、少なくともぼくは、いやな気分になります。
その笑いを、まともな討論や意見交換の掲示板や、ひとりごとのブログか何かで見ることがあります。
嬉しくて笑うんじゃない。照れて笑うんじゃない。
鼻を鳴らして、軽蔑したように笑う描写を書いているのです。
ま、がんばって好きにやってくださいね。(笑)
これは、どう考えても、優越感をひけらかした嘲笑ですよ。某巨大掲示板を含め、匿名を利用して仮面の後で勝手なことを言い合うとき、こういう笑いは、あって欲しくないけれど必要悪かも知れない。それがいやなら来なければいい。
しかし、ある程度個人を出したとき、そのペルソナには責任がある。人格がある。
人を嘲笑する笑いは、品位を落としますよね。
他山の石だ。気をつけよう。
今日も会社でした。精神的に疲れた。
明日から普通に会社です。 ふう。
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