と言うわけで(何がだ)、海に行って夜明けを見れなかったので、休み中になんとか夜明けを見に行こうとまた峠道に行きました。
(ATOKさんに、「ら抜き言葉」だと叱られました。ごめんなさい)
例の峠道、ちょっと気に入ったのです、実は。
この道路、「走り屋」さんたちの御用達には絶対なりません。なにせ、この狭さ。飛ばすことも、併走することもできません。この道幅のままでてっぺんまで上がります。
ごらんの通り、街灯ひとつありません。
この峠は、御霊櫃峠(ごれいびつとうげ)といいます。
歴史的に遡ると、前九年の役(AD1051-1062)まで遡る由緒正しい土地だそうですが、あまり便利な場所ではありません。広い意味で、歴史的にはほとんど記録に残らないところです。地元ではそれなりに必要な道路でしたが
。
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日本の歴史にその名が出たのは、戊辰戦争(明治元年-2年 1868-1869)の時が最初で最後ではないかな。旧幕府軍の鎮圧という美名で終わったこの戦争で、暴力的な新体制への反発と独立運動は終息させられました。(という見方で語ることもできますわな(笑)。)
この戦争の一部、会津戦争のとき、ここは戦場となりました。
盆地である会津への進入路のひとつとして、白河・二本松方面からの侵攻ルートは南から勢至堂(せいしどう)峠、三森(さんもり)峠、御霊櫃(ごれいびつ)峠、中山(なかや
ま)峠、母成(ぼなり)峠の5つがあります。歴史が示すように、官軍は最も守備の手薄な母成峠を抜いて会津盆地になだれ込みます。
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御霊櫃峠は古戦場とはいえ、重点的に守備した箇所を迂回されたのですから、マジノ線と同じで、戦略的には失敗ともいえる。
これで古戦場といっていいんでしょうか。
場所的には、急な山を上がって降りる地形です。徒歩や馬を引くならともかく、馬車を含めた車両の通行は困難ですから、現代では有効な通行路とは言えません。予備的な生活道路として舗装されていますが、大規模な開発をする価値はないでしょう。
ハンググライダーの愛好家の穴場だそうです。
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福島県中央部から会津に入るルートは、現在では
勢至堂峠には国道294号線
三森峠には県道6号線
中山峠には国道49号線(新潟市からいわき市まで横断する道路)
母成峠は国道115号線
が走っていますが、御霊櫃峠は国や県の管理外の道路です。
さて、日の出が見えたかどうかは下の記事へ、以下次号。(笑)
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